表記つっこみ

パッケージの裏表記などの文章をチェックして、不思議な表現や誤字脱字を見つけるのが趣味。
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「加熱して召し上がってください」→まあ普通「加熱してお召し上がりください」だよな・・・とか
「船橋工場でつくってます」→「船橋工場で製造されました」とか「製造しています」だね。
どちらもフレンドリーでいいけど。
まあこのくらいはどうでもいいレベルで・・・
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「次のことを守ってください。そうしないと、生地が・・・・」
「そうしないと」って・・・なんだか大変なことになってしまう雰囲気は出てるか・・・
まあこれも細かいつっこみで・・・
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「ご不明な点は、必ず事前にお客様相談室までお問い合わせください」
「必ず事前に」って何より事前に? 何を先にやってしまう人がいるんだろう・・・
お問い合わせする前に訴訟起こすとか?
まあ、こんなたわいのないことで日常喜んでいるのですが・・・
最後に、僕の大好きな韓国のりの、非の打ち所のない見本のような表記を・・
よく読んでね。
(写真はクリックすると拡大します)
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2010-03-12 | tetsuro oh!noの近況

ラップの歴史(4/4・4/22付け足し)

唐突にラップの歴史を調べてみた。
何が元祖かなんてことはどうでもよく、いろんなものが影響しあっているであろうことがおもしろい。
時代をさかのぼって見ていこう。
僕の中で最新のラップヒット曲はレモンガスやアクアクララのラップ娘かな?・・・
2005年。
いつも渡辺篤史の建物探訪でCMが流れてて、その後ゴールデンもバラエティにも登場するほどに有名になった。最後が「レモンガシュ・・・」になってるこのバージョンがいちばん好き↓

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いきなりふざけた流れになってしまったが、90年代はちょっと飛ばし気味で、
1994年にゲイシャガールズ。
1993年にRHYMESTERがインディーズで、
1990年にはスチャダラパーがデビュー。
そしてまたCMになってしまうが、
1988年にNTTハローダイヤルのCMで中井貴一がラップをやっている。

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その一年前。リアルフィッシュというバンドが1987年に「ジャンクビート東京」という曲を出している。

そう、ラップやっているのは桑田佳祐といとうせいこう。
僕もCDもってるけど、参加メンバーがそうそうたるもの。
ちなみにリアルフィッシュの福原まりさんは、コモエスタ八重樫さんとユニットつくったりもしてましたね。
このジャンクビート東京が日本語ラップの先駆けとされているが、
その前年1986年のRun-D.M.C.がエアロスミスのWalk This Wayをカバーした大ヒットをはさんで、
さらに2年前の1984年に佐野元春がCOMPLICATION SHAKE DOWNを出している。

かなり先進的だったとおもうが、それまでの佐野元春のしゃべり方とか歌い方とかをラジオなどで聴いていて、当時これを聴いたときにらしいというか、あまりラップという認識もなくすんなり受け入れて聴いていたような気がする・・・
ほぼ同時期、角松敏生がStep into the Lightという曲を出している。
こちらは佐野元春とは対照的に、当時のNYのすごい人たちを使いまくって完全に洋楽としてつくっている。

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このキラキラ感が大好き。
当時角松敏生はリミックスなんかもガンガン出していた。
歌声とメロディーラインから、山下達郎ラインのリゾートニューミュージックなイメージだが、実はいちばんブラックにはまっていたのでは?当時本人は「ブラコンにまっている」って書き方してたな。
この曲が4月。COMPLICATION SHAKE DOWNが6月。そして同じ年の11月に吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」を出している。
今考えると、すごいタイミングな気がする。
次の年には久保田利伸が提供したIt’s BADで田原俊彦がラップを披露。

ラップに、「ロックは日本語で歌えるか論争」みたいなものがなかったのは、日本語ロックも定着したこともあるし、日本人からすれば、「俺ら東京さ行ぐだ」でもわかるように、ラップって、日本に昔からあるじゃん的な受け入れ方ができたからだろう。
でも逆にそのせいで、スチャダラパーのような存在が出てくるのに時間がかかったのかもしれない。
ということで、これ以前は、日本語ラップはコミック的な扱いの曲がほとんど。
1981年、82年はそんなコミックラップが目白押し。
1981 咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー スネークマンショー(ラジオでは1980年放送)
1981/12 ドリフの早口言葉(8時だョ!全員集合)
1981/12 邦子のかわい子ぶりっ子 山田邦子
1982 チャカ・ポコ・チャ バラクーダ
1982 うわさのカム・トゥ・ハワイ   ザ・ナンバーワン・バンド

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”//www.youtube.com/embed/rZa6IHtxtCg” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

バックトラックはめちゃくちゃかっこいいな。

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”//www.youtube.com/embed/F-aU9lFgVaw” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

ジャケはくびちょんぱ?

そんななか唯一YMOの「ラップ現象」がコミックソングではない使い方か。
一方アメリカでは1979年にシュガーヒル・ギャングのシングル「ラッパーズ・デライト(Rapper’s Delight)」とファットバック・バンドの「King Tim III (Personality Jock)」が発表され、これがヒップホップの元祖とされているようだ。

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”//www.youtube.com/embed/diiL9bqvalo” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

1986年のRun-D.M.C.でラップに興味を持ったが、アルバムを聴いたらwalk ths way以外はちょっとかったるくて、当時僕の中では期待はずれだったが、こっちの方が全然かっこいいじゃん。
この翌年1980年にクイーンがAnother One Bites The Dustを出している。http://www.youtube.com/watch?v=rY0WxgSXdEE
すでにラップとロックの融合を試みているようにも聞こえるが、それより3年前の1977年に出したWe Will Rock Youだって、歌い出しはラップの様ともいえる。
ラップの歴史は黒人文化によるものであるが、実はもともと、結構ロックともつながりが深い気がする。
エアロスミスのWalk This Wayは、今までのどの曲よりも早い1975年にできた曲。
ラッパーズ・デライトの4年もまえにできている。
Walk This Wayと言う曲がどうしてできたのか調べたがなかなかわからなかった。
初期のラップによくある「ちゃんちゃらちゃん、ちゃんちゃらちゃん、ちゃんちゃらちゃららららん」と言うリズムにもぴったりとはまってるし。(わかりにくいか・・・)
おそらく、もっと古くからあるフォークやカントリーの語り口調的な曲からきてるのかなと言う気がするが。

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”//www.youtube.com/embed/bKttENbsoyk” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

かなり特殊な曲だよね。
そしてそれよりもさらに9年前。ついに60年代突入。
1965年 ボブ・ディランのSubterranean Homesick Bluesという曲がある。
これがすべての元祖と言っている人たちもいる。

それでもやっぱり、Walk This Wayのラップっぽさは突出してる気が・・・
しかし、日本には、これより全くはるか昔の江戸時代、秋田県にうまれたラップがある。
これが元祖ラップ?
まあここまで行くとお経が元祖でしょ?とかなってくるので・・・
はじめに「何が元祖かなんてことはどうでもよく」なんていっておきながら・・・・
まあ、これが元祖と言っている人をWEBでたくさん見つけたので・・・
ということで秋田音頭をご紹介。

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”//www.youtube.com/embed/nfwdCZuargM” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

恐るべきことに、さっきいった「ちゃんちゃらちゃん、ちゃんちゃらちゃん、ちゃんちゃらちゃららららん」のリズムだし!「123,123,12345」のリズムっていった方がいいか。
そしてこの曲をドリフターズが1969年に「のってる音頭」でカバーしているのがすごい。

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”//www.youtube.com/embed/mxlUhDbuea0″ frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

イントロ、間奏、すばらしすぎ。これこそヒップホップの元祖か。
僕が調べたのはこれが精一杯。もっと詳しい人教えて〜。
—-4/4付け足し——————————————-
ボブ・ディランの「Subterranean Homesick Blues」のPVをみて、INXSがこれをまねてPV作ったのを思い出した。当時ベストヒットUSAで見た気がするその曲は1987年の「Mediate」

さらにこれを聴くとペット・ショップ・ボーイズの「West End Girls」も思い出した。
ペット・ショップ・ボーイズはラップにしても、ユーロビートにしてもかなり独自路線だった。
こちらはRun-D.M.C.以前の1984年。

さらにペット・ショップ・ボーイズでもう1曲思い出すのが、ダスティ・スプリングフィールドをフィーチャリングした「What Have I Done to Deserve This?」
これはラップというよりも、かなり間奏中の「語り」にも近いが、男性がラップして、ソウルフルな女性ボーカリストがさびのメロディを歌うという現在のパターンの先取りだったか?
1987年。
http://www.youtube.com/watch?v=Wn9E5i7l-Eg&feature=related
そして、重要な曲を忘れていた。
ブロンディの「Rapture」。
白人が最初に成功したラップか?しかもNYでパンクバンドだったブロンディ。
1981年全米1位。かなり先進的か。
http://www.youtube.com/watch?v=xHPikUPlRD8&feature=related
——————4/22付け足し
さらに重要な曲をおもいだした。
1983 Wham Rap! (Enjoy What You Do?) /WHAM!
こうやって時代考証的に見てみると、この曲はかなりポップス化されていてオリジナル度が高い?

——————11/12付け足し
I Feel for You/Chaka Khan
最近もしょっちゅう聴いてるのに、すっかり忘れてた。
Wham Rap!の翌年。この頃は曲のイントロ的にラップを入れるパターン。

年表
——————————————-
1663 秋田音頭
1965 Subterranean Homesick Blues/ボブ・ディラン
1969  のってる音頭/ドリフターズ
1975/4 Walk This Way/エアロスミス
1977 We Will Rock You/Queen
1979 シュガーヒル・ギャングのシングル「ラッパーズ・デライト(Rapper’s Delight)」
1979 ファットバック・バンドの「King Tim III (Personality Jock)
1980 dragon attack/Queen
1980 Another One Bites The Dust/Queen
1980 Ego Trippin’ Out/マーヴィン・ゲイ
1981 Rapture/Blondie
1981 咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー スネークマンショー(ラジオでは1980年放送)
1981/3 ラップ現象 YMO
1981/12 ドリフの早口言葉(8時だョ!全員集合)
1981/12 邦子のかわい子ぶりっ子 山田邦子
1981グランドマスター・フラッシュ&ザ・フュリアス・ファイブの「The Message」(メッセージ性)
1982 チャカ・ポコ・チャ バラクーダ
1982 うわさのカム・トゥ・ハワイ   ザ・ナンバーワン・バンド
1983 Wham Rap! (Enjoy What You Do?) /WHAM!
1984 I Feel for You/Chaka Khan
1984/4 Step into the Light 角松敏生
1984/6/21 COMPLICATION SHAKE DOWN 佐野元春
1984/11/25 俺ら東京さ行ぐだ 吉幾三
1985 It’s BAD 田原俊彦(作曲:久保田利伸)
1985 West End Girls ペットショップボーイズ
1986 Walk This Way/Run-D.M.C.
1987  Mediate/INXS
1987 What Have I Done to Deserve This?ペットショップボーイズ
1987 ジャンクビート東京 リアルフィッシュ
1988 NTTのハローダイヤルのCM(中井 貴一)
1990 スチャダラパーデビュー(結成1988)
1993 RHYMESTERインディーズ
1994 ゲイシャガールズ
2005 レモンガスCMラップ娘
これらのラップの歴史のiMixを作ってみた。→リンク
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2010-03-11 | tetsuro oh!noの近況

インターチェンジ萌え

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高速道路のジャンクションに萌えている若者が多いようですが、友達もツアーに参加したりして、気持ちはすごくよくわかる。あの曲線美。
でも、ジャンクションって東京や大阪などの、首都高みたいなのがある、限られた大都会にしかなかったので、仙台出身の僕は、子供の頃から東北道や国道のバイパスに多く作られていたインターチェンジ萌え。ジャンクションって最近の言葉な感じで、ミッドセンチュリーならインターチェンジ?(笑)の響きがいい感じ。(ジャンクションとインターチェンジの違いはウィキで調べてね)
そしてやっぱり僕は走ってる車から見るのが好きなのは、世代の差か?
写真はファンタスティック・プラスティック・マシーンのファーストシングル。
このキラズのイラストに、当時かなりやられました。
この感じだよ。
このシングル、まだ8センチCDだったんだね・・・・。1997年。
ちなみに、首都高などには、僕がメーカー時代にデザインした照明がたくさんついてます・・・

2010-03-05 | tetsuro oh!noの近況

ドリップコーヒーはheliosの魔法瓶で・・・

エスプレッソマシーンで入れるのもすっかり飽きて・・・
最近はペーパードリップをたくさんつくっておき、ポットへ。
手軽に買えるミッドセンチュリーなデザイン、heliosの魔法瓶。
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ドイツらしいね。
万年筆のラミーを思わせるソリッドなデザイン。
最近首から肩が痛くて辛いです・・・
医者に診てもらったら、首の骨が変形して神経を圧迫・・・
老化だそう・・・・
昨年のぎっくり腰に続いて・・・・ボロボロだ。
———————
今週末土曜日は、アマランスラウンジでディスコなDJです。
80sで、バブリーな感じかな???
★3/6(土)22時より並木橋の古城アマランスラウンジでは、実力・ルックスNo.1のショーガール・ユニット[MAKO with CAPSTICKS]が皆様に贈る(魅せまくりの)サタデーナイト・フィーバー《ラ・ディスコティーク・アマランス vol.2》を開催致します!
★熱い視線が交差する光と影のレイザリアム!
★なぜか今夜はヤッピー万歳! 軽薄美形なスノッブ気分の80年代ヤンエグ・エリート狂想曲!
★[DJ ALEXANDER]のクールな選曲と、[ブライト・ライツ・ビッグ・シティ]で一番ホットなFOXY LADIES[MAKO with CAPSTICKS]のセクシー&ゴージャス・リッチなショー・タイム!(25時からなんと・怒涛の3ステージ!!)
★第1部[カイリー・ミノーグ]ショーで[MAKO]覚醒の色即是空(VJ:ZOE)
★第2部[CAPSTICKS]魅惑のキャビン・アテンダント・ショーに千客昇天・Yes Coke Yes!
★第3部[アンダーグラウンド・クチュール・メゾン/ステュディオ・アミトキア]製ソワレに身を包み[MAKO]渾身の[ホイットニー/GRAMMY AWARD LIVE]ショー! DRAMATICなSTAGINGとスぺーシー・エレガントなオリジナル・コスチュームに乞うご期待!
★ショーガール達のめくるめくPERFECT BODYと心くすぐるURBAN NIGHT MUSIC!
★[アメリカン・サイコ]なヴァレンチノ・スーツでご来店のヤッピーにキラー・マティーニ(NY-STYLE)1杯プレゼント!
★来たれ! 社交の花形選手! ニュー・ギルデッド・エイジなヌーベル・ソサエティが並木橋に今宵・復活!
★80年代ファースト・レディ/ナンシー・レーガンよ、永遠に!
★[MAKO with CAPSTICKS(ノエミ&ミホ)]の[LA DISCOTHEQUE AMARANTH]は…。
★3/6(土)今週末!
★22時オープン23時スタート
★@AMARANTH LOUNGE
★SHOW:マコ/CAPSTICS(ノエミ/ミホ)
★DJ:アレクサンダー大野
★MADAM:レジーヌ
★衣装:STUDIO AMITOKIA(COCO)
★映像制作:ZOE
★CHARGE:1000

Country Coach Veranda

CountryCoachVeranda.jpgCountryCoachVeranda2.jpg
モーターホーム。ベランダ付き。
50万ドルオーバー。もちろん土地別。

フィギュア解説・・・しちゃったりして

オリンピックも残りわずか。
ということで、フィギュアは当然スケートのことですが。
僕の姉はフィギュアの国体選手だったので、子供のころからよく見てた。渡部絵美や佐野稔とかね。
僕が大学のころも、姉は仙台でスケート連盟の手伝いをいろいろやっていた。
当時は現在の鈴木明子や荒川静香、本田武史などを教えていた長久保コーチが仙台にいた。
僕もアルバイトで、フィギュアの大会を手伝ったことがあったが、低学年の子供たちが滑り終わった後に、リンクの上に行き、ジャンプで出来た穴を埋めるというもの(笑)
そこにはおそらく荒川静香もいたはず。(ちょうど年代も荒川が7~8才のころ)
(姉もそのとき荒川がいたかどうか覚えていないとのこと・・・)
ということで、さっき終わったばかりのフィギュア女子SPについても、書かなくては。
上位3人が70点越え。おそらく女子では、史上最高レベルでの戦いでは?
もともと自己ベストから考えると、キム・ヨナがミスしてくれなければ浅田真央は勝てない構図だったが、お互いミスなく滑って浅田真央73.78点、キム・ヨナ世界歴代最高の78.50点。浅田が自己ベストの75.84を上回れなかったのに対して、キム・ヨナは自己ベスト=世界歴代最高。(今まではキム・ヨナの76.28)
思ったより差がついたと思った人も多いのでは。
しかし、今季浅田真央は新しいプログラムをものにするのに時間がかかり、グランプリシリーズでは全く結果を残せず、第一戦SP58.96点、第2戦SP51.94点。
グランプリファイナルに残れず、オリンピック出場も危ぶまれたことを考えると、ここへきてほぼ完ぺきな演技ができたのは、すごい。
点差4.52。
あの自信満々なキム・ヨナを見ると、かなり厳しい数字だが、ちょっとでもミスすれば、簡単に逆転できる数字でもある。
フリーの自己ベストは、キム・ヨナ133.95点vs浅田真央133.13点
今季グランプリシリーズ、キム・ヨナは、初戦こそ133.95点の自己ベストを出したが、第5戦アメリカ大会では111.70点。グランプリファイナルでは123.22点。
キム・ヨナも金メダルを取るには、ミスは許されない。
浅田真央がオリンピック出場を決めた全日本フィギュアスケート選手権のフリーの得点は135.50点。
国内大会は得点が高めになるので、そのまま比較はできないが、まだまだ発展途上の浅田のプログラム。
どんな高得点が出るかはまだ未知数。
是非フリーでもハイレベルな戦いを見せてほしい。
安藤も銅をとってくれれば・・・
それにしても、オリンピック中でも伊藤みどりを全く見かけないが、どうしてるんだろう。

2010-02-24 | tetsuro oh!noの近況

21世紀はこうなる

本棚を整理していたら、こんなのが出てきた。
「Newton増刊号・21世紀はこうなるpart2」
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まさにバブル崩壊寸前の1989年2月14日発行。
こういう記事は、あとで見るほどおもしろい。
「極超音速旅客機」や「大深度地下を利用したジオフロント」、「人工知能をもった電気自動車」「野菜工場」などは、実現しつつあるし、21世紀はまだ90年あるので、まだまだ開発が進むと思うけど、やっぱり、全く予想が外れたというか、予想もされていなかったのが、携帯電話とインターネットのようだ。
記事には「ISDNによるマルチネットワーク」と「CATV」しか書いていない。個人個人が手に持って歩く電話は、まったく予想に登場しない。
「ICカードによるプラスチックマネーの時代が来る」という記事もあるが、まさか、小学生から、おじいちゃんおばあちゃんまでちっちゃい携帯電話を持ち歩き、それ一台で、電車に乗って、買い物して、メールを送って、テレビ見て、ネットで世界中のWEBサイトを見てる時代が、21世紀始まって10年で訪れるとは全く予想できなかったのだろう。
イミダスで、93年あたりを境に「インターネット」という言葉が、1ページだった記事が、1年で何ページものコーナーになったのを覚えている。WEBのお陰で、イミダスすらいらなくなっちゃったけどね・・・
5年もたたずに予想が外れ、20年後には全く想像していなかったものが、いちばん生活にとけ込んでるとは・・・
20年後にはどうなっているんだろう。
予測年表に「2010年・家事ロボットの普及率が50%」となってるのが気になるところ。早く開発して〜。

2010-02-17 | tetsuro oh!noの近況

HDDでオリンピック

オリンピックを録画するスペースをあけるため、ハードディスクに録りたまっていたもろもろの番組を急いで見まくる。
タモリ倶楽部とかファッション通信とかそんなやつ。
一時は10回分くらいたまってしまったこともあり、見れんのか?と思ったけど、なんとか。
やっと時代に追いついた。まだ年末気分のものもあったからね・・・
写真は某公園のトイレの張り紙。怖すぎ。

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2010-02-16 | tetsuro oh!noの近況

オリンピック〜生森明菜〜上村愛子

オリンピック・ウインターゲーム。始まりましたね。
開会式の映像はなかなかすごかった。
白で統一されたVIP席がパントンチェアに見えたのは気のせいかな?
夜は、先日のブログでも紹介した「生森明菜」さん、アマランスに登場。
やっぱり似てるし、おもしろい。
なんと、アマランスの縁でメジャーデビューも近いらしい。
今まででなかったほうがおかしいもんね。
先日の新宿2丁目でのショー↓
クチパクじゃなく、ちゃんと歌ってるからね。

そして寝不足のまま、オリンピック女子モーグル観戦。
上村愛子・・・かわいそうすぎる・・・
せめて銅めだるでも・・・
2007-2009シーズンはワールドカップ10戦中後半5連勝で総合優勝。昨年は世界選手権でシングルとデュアルの二冠金メダル。F1で言えばシューマッハーなみのすごさなのに・・・
4年に一度の一発勝負は厳しいな〜
しかもメディアは、オリンピックのほうが、ワールドカップより100倍くらい重視してるし・・・
テレビで上村選手を紹介するときに「ワールドカップ5連勝で総合優勝したことがある」なんて全然紹介されないのも、なんかかわいそう。

2010-02-15 | tetsuro oh!noの近況

地図マニア2〜自転車〜坂の話し

自転車はかなりブームだが、特にシングルギアの自転車が、おしゃれピープル(こんな言い方まだするのかな?)では流行っている。
でも、坂が多い都内では、通るルートが気になるところ。
以前、アルプス社の地図ソフトを買うと、ルートの標高グラフを表示できるものがあったが、WEBで地図を見るのが主流になった現在、そんな地図サイトがないのかなと探してみたら、ちゃんとあった。
「ルートラボ」
latlonglab.jpg
しかも、アルプス社のものをYahooが買い取ってるじゃないか・・・
Yahooのトップページからのリンクがわからないんだけど・・・
坂道をさけたい軟弱派も、あえて激坂に挑みたいヒルクライマーも、タモリさんのような地形マニアもすごく楽しめる。
ちなみに、坂の度合いが%で表示されるので、なれてない人はぴんと来ないかもしれませんが、
1% = 0.572957795 度
ママチャリで走ってる人なら、5%の坂といえば、まあ、わりと坂。
10%になったらほとんど押して歩く人も。
激坂マニアの「激坂」は20%以上(近代ツールドフランスに、日本人としてはじめて参加した今中氏による)
20% = 11.4591559 度
スキーやる人は、たいした坂じゃない気がするだろうけど、この角度、原チャリでも登るの大変です。
たぶんママチャリだと、下りも怖いかも。
ついでに、もうすぐ始まる冬のオリンピック。
アルペンスキーダウンヒルは、40度以上の斜面を160kmくらいのスピードで滑り降ります。
※このルートラボ、トンネルなどは考慮してないみたい。山道ツーリングに行く人は注意。

2010-02-11 | tetsuro oh!noの近況