『宇宙家族ジェットソン』にみる生活と労働・・・インテリア?
「過労死」、「過労による精神衰弱で自殺する」。こんなニュースが最近は多すぎるような気がする。長い不景気や、社会全体の変革期による歪みが、高い失業率と、一部に集中したハードワークを生んでいる。
50年代のアニメ「宇宙家族ジェットソン」を見たことがあるだろうか?
当時から見た典型的な未来像。車は空を飛んで、高く空に浮かぶビルやマンション。何から何までスペーシーなデザインで、僕の大好きなアニメの一つだ。もちろんインテリアはミッドセンチュリーモダンリビング!
その主人公“ジェットソン”は、かわいい奥さんと年頃の娘、小さい息子と4人でマンションに住み、あまり高級ではないマイカー(空を飛ぶのだが)をもち、歯車をつくっている会社の“ボタン押し”として働く典型的なサラリーマン。当時みんなが理想とした中流階級の家庭。フリントストーンの未来版だ。
設定としては50年代から見た超未来の生活を、理想と皮肉を込めて描いている。朝、ロボットの声で起こされ、勝手に洗面所に連れていかれ、服を着せられ、身だしなみを整えられる。ママはみんなの朝食メニューを聞いてボタンを押すとそれぞれのテーブルに自動で準備される。マンションの最下階にある駐車場には部屋から専用のエアチューブで下り、空を飛ぶ車で“渋滞”に巻き込まれながら会社に行く。基本労働時間は3時間。やる仕事は歯車をつくる機械の“ボタンを押す”ことだけで、それでも怠けたり、「社長は人使いが荒い」と文句を言ったりする。家ではロボットが掃除し、ママが洗濯機にシャツを放り込むと瞬時にアイロンがけして出てくる。それでもママは「家事はめんどくさい」と文句を言っている。新聞や手紙も便利になっているが、電子的ではなく、ロボットが届けに来るのがおもしろい。
こういったお気楽な未来像を描いたドラマは、日本でもアメリカでも、高度成長を続けていた50年代あたりにたくさんつくられていた。
しかしその後、なくならない戦争や、環境問題。便利さだけでは充実しない生活、など、60年代から70年代にみんなが悩みはじめ、すっかり未来への希望はなくなり、ジェットソンのような生活は夢だ、無意味だとあきらめてしまう。80年代90年代にちょっと好景気になると、そんな悩みはすっかりわすれて、投資、投資と目先のもうけ話に群がり、一転不景気になると働かざるもの食うべからず、死にものぐるいで働くものこそ、弱肉強食のこの不景気を乗り切ることができる、というようなフレーズが、新聞や雑誌にあふれている。
いったい私たちは何を目標として近代社会を築き上げてきたのだろうか?
食洗機や全自動洗濯機による家事労働の軽減、24時間営業のコンビニや冷凍食品は、共働きで遅くまで残業するためであろうか?インターネットやコンピュータによる情報化、効率化はその分もっと多くの仕事をこなすためのものであろうか?
医療の進歩による長寿化は70になっても働くためであろうか?
締め切りに追われて、パンを食べながらパソコンに向かい、つけっぱなしのTVから過労自殺のニュースが流れ、仕事がいやになって、ソファーに横になり、カートゥーンネットワークで宇宙家族ジェットソンを見ていたらこんなコラムになってしまいました。
「自分でつくるインテリア2」リフォームの話はまたそのうちに・・・・
「宇宙家族ジェットソン」。ミッドセンチュリーインテリアマニアにはお勧めですよ。