30年ちかく前の夏のこと、、私は気が抜けていた。何か体中、いや頭の中までだるい気分で一杯だった。去年から興奮しどうしだった自分はいったい何処へいってしまったのだろ。あの嵐が過ぎ去って夏休みに入り、静かだけど退屈な日々がただなんとなく続いていた。一人、部屋の中でボーとしながらその嵐のことを考えていた。
1カ月程前、中学生の私にとってそれまでの短い人生でもっとも興奮した状態にあった。それは6月30日の夜、日本武道館の後の方の席での体験。ジョンレノンが「ロックンロール ミュージック」を歌いだしたのが7時30頃、それからたったの30分間弱の出来事、ビートルズ日本公演初日、確かに私はそこに居たのだった。風が気持ちいい、、と我に帰ったのは地下鉄の駅に向かって歩いていた時だった。この日のコンサートは翌日にはテレビ中継で全国にオンエアされラジオ、テレビ、新聞、雑誌とあらゆるマスコミが彼等の為にあるかのように騒ぎたてたいた。彼等の滞在は4日間、嵐はあっというまに過ぎ去っていった。
私は以前のようにラジオの音楽番組を毎日のように聞いていたが何か前と違っていた。街に出かけて行っても景色が以前と違って見えるような気がしてならない。「一体どうしたのかなー」自分に問いかけてもその答えは見つからなかった。そんなある朝、友達のY
が家にやってきた。今日は夏休みの中間報告をする登校日、しかし迎えにきた彼は制服を着ていなかった。
「よう!どこか遊びに行かない?」
「OK!ちょっと待ってて」
小銭と買ったばかりのトランジスタラジオを持って家を飛び出した。2人は制服を着たみんなとは逆の方向に向かって歩きだした。Y は小学校からの友達でよく一緒に遊んでいたけれど中学に入ってからは学校以外で会うことはあまりなかった。しかし彼もビートルズを別な日に見に行ったことは知っていた。あの嵐を直接体験した彼は今どんな気分なんだろうか?聞いてみたい気もしたけれど、取り合えず二人は小学生の頃よく遊びにいっていた豊島園に久ぶりに出かけることにした。行きのバスでも何を話すわけでも無かったが、行きたくもない学校で担任教師の話を聞かないで済んで良かったと思っていることは共通していた。目的地に着いても何をするでもなくブラブラした後、噴水の側のベンチに腰をおろし私はFENのヒットチャートを聞くためにトランジスタラジオのスイッチをひねった。「サマーイン
ザ シティ」ラビン スプンフルが流れだす。
「この曲、大好きさ」と私が云うとYは嬉しそうにうなずき
「今週のチャートは好きな曲が一杯さ、『サニーアフタヌーン』とか『サンシャインスーパーマン』とかさ、そろそろビートルズも新曲でるんじゃないかな」
私はふと朝考えていたことを口にした
「最近なんかかったるくてさ、どうもビートルズが帰っちゃってから調子狂っちゃってさ」
するとYは「お前もそう思う?実はオレもなんだよ、あの騒ぎ以来何か変なんだ」
とニヤニヤしている。私は彼がひょっとしてその原因を知っているのではないかと思い
「何ニヤニヤしてんのさ?」と問いかけると
「いやーあの時、つまりジョンが『ロックンロール ミュージック』を歌い始めた時、オレに向かって歌っているような気がしたのさ。お前もロックしろって!自分にあった方法で、何か見つけろってさ。」
Yは自分に話かけるように言葉を続けた。
「よくわかんないけどさ、ジョンは俺達みたいな子供に伝えたかったんじゃないかなー。大人じゃない俺達にさ。その為に世界中回ってこんな遠い日本にまでやって来たんじゃないかと思ったのさ、そのメッセージを頭の中にたたき込まれた連中がこの日本中に沢山いるに違いないとオレは思っているのさ。お前もそうなんじゃないの?」
「でも」と私は反論した。
「だったら何でこんなにボヤーとしてるんだ?おかしいじゃないか」
すると彼は
「いやー、オレもボヤーとしてるさ、だってまだ何をやったらいいかわからないもんな。でもきっと将来その答が出ると思ってるのさ。そう思ったら少しはかったるさも無くなって何かワクワクしてきたのさ」
私はベンチから飛び起きて
「そうか!てことはジョンはオレに向かっても歌ってたんだ」
Yも立ち上がり
「そういうこと!」
その夏の日、日射しは暑かったけれど気持ちの良い時間がゆったりと流れているのを私は感じていた。
その年の秋、ビートルズはコンサート活動を中止しアルバム「リボルバー」を発表、ビーチボーイズの「グッドヴァイブレーション」が世界的にヒットしていた年末には「ストロベリーフィールズフォーエバー」をレコーディングし翌年に
は「Stペッパーズ」の制作に入っていった。
しかしその頃の私は高校受験の為、夏の豊島園で過した1日のことは記憶の片隅に追いやっていた。
あれから29回目の夏をむかえた。Yとは20年以上会っていない。たまにあの夏の日を思い出すことがある。「サマーイン ザ シティ」を聞くためにレコードをひっぱり出すこともある。
そしてYが将来見つかると云っていた答を見つけられたのかどうか自分に問いかけることもある。ジョンに会って「あの時、私に向かって歌ってくれたのですか?」と聞いてみたい衝動にかられることもある。そのジョンももうこの世には居ない。
1995年、夏。私はここに居る、ロックしているのだろうか、、、。
コモエスタ八重樫